教えるというけれど
《 教育について語られるとき、おおく語りつくされるのは「教える」「教えられる」についてであり、語られることのすくないのは「育てる」「育てられる」についてです。教育が「教」と「育」と、二つからなるものであるにもかかわらず、です。/それはおそらく、教育の意味を果たすものが「教える」「教えられる」ばかりになって、「育てる」「育てられる」がもはや教育の意味をもたなくなっている故かもしれません。教育の「教」だけがあって、今は、教育に「育」がないのです。

「教」としての教育と、「育」としての教育は、もとめるものがちがいます。「教」としての教育がもとめるのは万人のためのマニュアル、「育」としての教育がもとめるのは個性のためのプログラムです 》(長田弘「教/育」)
上に示した文章の筆者、長田さん(1939―2015)は詩人です。絶妙な詩集を多く出版されています。また柔軟な発想に基づいた多くの評論も書かれています。いま、その一例をあげると、『われら新鮮な旅人』『メランコリックな怪物』『言葉殺人事件』『深呼吸の必要』『食卓一期一会』『心の中にもっている問題』『世界は一冊の本』等々。そのほとんどを読んできましたが、高名になる前の、若い詩人の作品により強く惹かれてきました。それはともかく、教育や学校の問題に多く触れておられた文章から一つを選んで、考える材料にしたいと考えました。(この文章はすでに、このブログでも、いくつかの雑文の中で触れています)
(閑話。言葉の詮索は、一種のシャレのようなもので、面白そうですが、それだけだという気もします。「教育」についても、しばしば「言葉」の由来や、成り立ちから説明をすることがあります。長田さんの場合もそうです。「教」も「育」も、それぞれが単独で使われていました。それが合体して、ある時期に「教育」となった。深入りはしませんが、その一因として、外来語(欧米語)が輸入され、それが「翻訳」された時に、作られたということもあります。それぞれの事象や抽象はすでにあっても、それをとらえる言葉が未整理であったようなケースには、しばしば「翻訳」によって造語されたのでした。その「造語者」の典型は西周(にし・あまね)で、彼は数百に及ぼうかという「翻訳語」を作りました。鴎外や漱石などもそれに次いで、新しい「概念語」としての翻訳による「日本語」創作を果たしました。新しい「国語」の踏切台となり、学校教育によって普及されて行きます)
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● 西周=没年:明治30.1.31(1897) 生年:文政12.2.3(1829.3.7)啓蒙思想家,日本最初の西洋哲学者。幕府開成所教授,東京学士会院会長,東京師範学校校長,元老院議官,貴族院勅選議員。石見国(島根県)津和野藩の医家の長男。父は時義,母はカネ。若くして朱子学を学び,荻生徂徠にも啓発された。ペリーの来航によって蘭学,洋学の必要を悟り,脱藩して蘭学を学び,英学を杉田成卿,手塚律蔵に学び,英語の発音を中浜万次郎に学んだ。幕府留学生としてオランダのライデン大学でシモン・フィッセリングに師事し,法学,経済学,統計学などを学んだが,J.S.ミル,A.コントの哲学に共鳴した。維新後明治政府に招かれ陸軍省,文部省に勤務,かたわら私塾育英舎を開いた。明六社創立(1874)に参加し活躍した。新しい時代の青年を教育するために学問全体の統一的理解の必要を感じ,『百一新論』(1874)でこの統一科学の試みを「哲学」と称した。彼の哲学はミル,コントの実証主義哲学をモデルとし,自然科学の土台の上に社会,人文科学を積み重ねる学問体系を志し,これらの諸科学をつなぐ環となる原理を物理と心理,学と術,コントの歴史3段階説,ミルの帰納法などに求めたが,未完成に終わった。のちに人間性論に関心を移して人間論を展開。彼は主観,客観,概念,観念,理性,悟性,感性,演繹,帰納,定義,命題,実体,属性など多くの哲学用語を訳出。山県有朋の下で軍事政策にも参画し『軍人勅諭草案』(1880)を著した。<著作>『西周全集』全4巻<参考文献>小泉仰『西周と欧米思想との出会い』(朝日日本歴史人物事典)
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「教育」には「教」と「育」の二つの働はたらき(ねらい)があるにもかかわらず、(長田さんの文章は三十年ほども前のものですが、今日でも、かなりの部分は妥当するのではないかと、ぼくは考えています)今はもっぱら「教」だけになってしまったと指摘されます。「教える」「教えられる」というのは、まさに「教師」と「生徒」の分業になりきっています。「教える」ことに病的に執心しているのが教師だとぼくは思っている。まるで「教える」病に罹っている。これはひとりの教師の問題である以上に、時代病、社会病でもあるというべきでしょう。そんな教師に「対面」する生徒は、ひたすら「教えられる」側に身を潜めてしまう。「教える」教師と「教えられる」生徒、うるわしいとはとてもいえない、なれ合いでしょうか。こんな「教」過剰の「学校教育」で失われる(育たない)のは一人一人が、「自分の頭で考える」ということです。
長田さんは「数学」があまり好きじゃなかった。学校の数学の時間はとても窮屈に感じられたという。でも、数学が苦手だったために学んだことがあるともいわれています。「解らないというのは、解るの反対じゃないということ」。つまり、「あっ、そうなんだ」と思うまでの時間をもちこたえるのが「解らない」ということなのだと悟ったという。問題には「即答」という暗記がものをいう教室では経験できない、貴重な「考えつづける」、「思考状態を持ちこたえる時間」の醍醐味を、このように解かれている。それはけっして詩人だけに特有の感性ではないでしょう、こんなことをいうのは。
《 つまり、考えるとき、ひとは同時にいくつものことを一緒に考える。考えるというのは、正しい答をだすだけじゃなくて、間違いまでふくめて、同時にいくつものことを考える楽しみだと思うけれど、学校なんかじゃあんまりそうじゃないんですね。学ぶというのは、答を学ぶことじゃなくて、考えることを学ぶことなのに 》(「詩人という姿勢」)

「教」と「育」について
「教育」に「教」ばかりがあって「育」がないと長田さんはいわれた。それこそが二十世紀の「教育」の姿(ありよう)だったのだ、と。「教」としての教育が求めたのは「匿名の人間像」であり、それこそが二十世紀の教育の主人公(目標)になった。反対に、退けられてしまったのは「育」が求める「個人の人間像」だったと指摘されます。
《「育てる」「育てられる」がいつか教育の意味をもたなくなって、社会になくなったものは未熟さというものに対する自覚です。そして、人びとのあいだに失われたのは、熟慮、熟達、熟練、習熟といったことを目安に、物事を測り、人間を測る習慣です 》
学校教育に託されたのは、自分で考え自分で行うという生き方ではなく、自分が未熟であるかどうかを自覚できないadult child (child adult)(「万人のためのマニュアル」の実践による)の大量生産でした。なにを学ぶのかを知らないでも、生徒は勉強させられている気になる。国語でも数学でも、大事なのは教えられた内容を覚えるだけのこと。ここでも自分でする経験(考える・疑う)は「教えられる」ことによって失って(奪われて)いるんです。
《 教育というのは、けれども、逆説的な力をもっています。容易であるべきものとしての教育が一人一人のうちにもたらしたものは、充足感とは逆のもの、すなわち、みずから何事かをなしたという have done という達成感の喪失です。

一人一人を日々の深いところで捉えているこの達成感のなさが、「教」を頼んで「育」を欠く今の世の、教育のありがたみのなさにほかならない、ということを考えます。達成感を得て、はじめてそれぞれのうちに確かなかたちをなしてゆくものが、個性です 》
(*本文とは関係ありませんが、右の写真の看板に注目。「校門一礼」とあります。その文意が理解できませんでした。「校門」が、登校してくる子たちに「一礼する」のかな、粋な学校、と。この校門は「AIか」と思ったが、そんなはずはない。「校門」のどこかに、「日の丸」か、「創立者」か、その影絵が見えて来るんでしょうね、きっと。まるで位牌に頭を挙げさせられているような気がしてきました。「葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は 神在随(かむながら) 言挙げせぬ国」・「万葉集」)
「万人の為のマニュアル」「匿名の人間像」。いったいなぜ、これが二十世紀に強く求められたのでしょうか。逆に言えば、「個性のためのプログラム」「個人の人間像」はどうして退けられたのでしょうか。学校や教育の状況はどんどんと深み(泥沼)にはまっているように思われます。「生きる力」を育てるといいながら、むしろその反対に、自分の力では生きていけないたくさんの若者を生み出しているのではないか。
別の角度から、長田さんの指摘を考えてみます。学校で大きな力を振るっているのは、今も昔も「平均点」(平均値)ではないでしょうか。この「平均点」に関して、ぼくには苦い思い出があります。高校時代でした。担任教師が「このクラスで、一人で平均点を落としている者がいる」と、当てつけのように言った。(「何をぬかすか」、とひそかに怒りが湧きおこりました。四十人の平均点を(一人で)下げるというのは、いったいどれだけの点を取ったというのか)もちろん、ぼくは傷つきはしなかったが、いやなことをいう教師だなと、彼を軽蔑するばかりでした。教師はダメな人間だなと、再確認した思いでした。
その平均値・平均点について、長田さんは以下のように述べられる。

《 平均値によって語られる全体は、一々のちがいを問うことをせず、問題があっても、それを例外としてしりぞける。ですから、教育の偏差値偏重にしめされるように、平均値ばかりが優先されることになると、一人ひとりがいま、ここにもつ生きかたという具体的な視野が、ずんずん失われてってしまうようになる。平均値にたよってものをかんがえ、一々の事実の語るところのもの、一人ひとりのちがった生きようがになっているものを落っことしてしまえば、平均的には理想的だけれど、ありていは惨憺たるものというようなありようを、みすみす甘受しなければならなくなるでしょう。『一九八四年』の作家オーウェルのいった痛烈な言葉をおもいだすんですが、オーウェルは「正気というのは統計的なものじゃない」といった 》長田弘「一人ひとりの側から」)
長田弘さんの文章をくりかえし読んでいただきたい。なにが言われているか。いやでも思い当たる節があるのではありませんか。いたるところに平均値主義という暴力がはびこっています。ことに学校という集団社会においては。「統計をとって、一致してる数のおおいものを多数というふうにとるのは、いかにも目だつし、みやすいけれど、数というのは勘定のしかたで、とてもトリッキーになる」「多数派がピックアップされてゆく過程で、何を百としての多数派なのかという、もとになる百、もとになる全体というものが、だんだんちいさくなってゆくんですね」(長田)
子どもが母親にものをねだるとき、「クラスのみんなが持ってるよ」というそうです。その「みんな」は、たいてい数人だという話です。多数と小数というのは数字のからくりなんですね。この島の選挙の投票数や得票数など、その典型です。「みんな」が一割だったりしますから。「みんなに選ばれた」のではなく、「(みんなの」十分の一の選挙民に選ばれた」というべきです。
《 しかし、社会の容量というのは、多数派によってではなく、多様性によって決まる。今はこういう時代なのだと、多数派の言葉で語るベストテンやクローズアップされた情報の側からでなく、一人ひとりの側から、わが身の側から、ものをみていくようにしないと、(中略)われにもあらず、じつはトリッキーなしかたでちいさくされてゆく全体に、足をとられちゃうことになる。多数派が幅をきかせる社会というのは、きまって浮き足だった社会です 》(同上)

テレビ視聴率がしばしば話題にされ、その数値によって、さまざまな経済性が決められていきます。ベストセラーや売上高など、ひたすら数値信仰が高じてきた結果、ぼくたちは物事の個別性や独自性を認める判断力を失ってしまったのです。それは同時に、自らの視力というか能力の衰退を招きよせてしまったのです。全体主義社会とは圧倒的多数の意向が力をもつような社会のことではない、とぼくは思う。「社会の全体」がかぎりなく小さくされてしまう状態にある社会のことじゃないか。少数意見が全体の意見にされるような社会だといってもいい。その極地は「独裁」社会です。マイノリティとマジョリティなどといわれますが、じつは無力なのはマジョリティの方です。
自分は平均点(ふつう)より高いか低いかということに一喜一憂することはばかげています。わけもなく自分を数字(点数)にあずけないようにしたい。ぼくは他のだれともちがうという意味は、他のだれもがぼくとは異なるという意味です。いつでもそのように他者と交わりたい。点数や偏差値など、数字によって他者も自分も、足元を掬(すく)われないようにしたいですね。長田さんは、念を押すように言われます。
「それぞれがたがいにちがうということが、わたしたちにとってのたのしいありようなのだという感じかたを、じぶんに失くさないようにしたい」(長田)
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教えると育てる
わたしたちの社会・国家が進めてきた学校教育で、いわば多数派と多様性というものはどのように受けとめられてきたのか。多数派(集団)というものでもって多様性(個人)をからめとっているのが、学校教育の歴史の実態だとみるのは極端にすぎますか。団結とか、全校一丸となってなどと、いつまで囃し立て、煽り立てるのでしょうか。日常は、一点を争う点通り競争に、背栄と立ちを参加させておいて、その言い草がどこから出てくるのでしょうか。
ここで、一息入れて沈思したいですね。

他人から貰ったものをそのままのみくだす人間にはなりたくない。わたしはブレないという人は、おそらく柔軟な思考ができないんですね。事態や状況に対する姿勢が硬直しているのです。反対に、いつも自分のいまの状況から考えて、ああも言えるし、こうも言える、それらとはちがう見かた・考え方がありうるという、その揺らぎの姿勢・態度をいつでも大切にし、いつまでも失いたくないと思うのです。何でもかんでも飲みこまない、じっくりと咀嚼するのがいいですね。
わたしたちは何かについて「考える」ということを、それほど重視していないようです。たとえば、2+2=4になるというように、一つの問題には一つの答があって、それを教えたり教えられたりすることが勉強(教育)だと思いこんでいる。分からなければ聞けばいい、そのための親であり教師なんだというわけです。問われたことに、どんなに真剣に答えようとしているのか。また、どんなことが問われているのか。問われている(求められている)のは「答」であるというよりは、「考えるという行為」なのではないか。
学校の試験問題にかぎらず、どんな問題にもたくさんの答えがある。それを自分で探してみる、他人に聞く前に、とにかく探してみることです。そうしているうちに、ああこれがそうだというものが見えてくる。それをさらに求めていくと、もっといいもの(求めていたもの)が生まれるでしょう。そこまで持ちこたえることが、つまりは考える幅であり深さなんだね。「下手な考え、休むに似たり」というのは「浅慮」を指します。「答えは一つ」というのは、あらかじめ決められた規則(内規)であって、学校以外では通用しそうにないのですが、学校が存在している現実社会には「出された問題に正解は一つ」という暗黙の了解のようなものがあるのですから、やんぬるかな。手に負えないんですね。

そうなると、残るのは、何処までも「異端児」で行こうではないか、という、正直を隠さない姿勢ですね。周囲から、ぼくは「お前の言うことは、ナンセンス」といわれることを待望していました。期待通りに、よく「お前は、変わり者」「斜に構えやがって」「まったく変わったことを言う奴」などと、褒められたのではありませんが、嫌味をさかんに投げつけられていました。でも、これもよくよく考えないといけませんが、「ナンセンス」は「センス」を笑ったり、虚仮にしたり、それを無にする、そんな力があるとずっと考えてきましたからね。「ナンセンス」は「無意味」なんかではない、「常識」「したり顔」「意味ありげ」などの、取り澄ました「世論」「評価」「価値観」を無にする、無力化する、そんなはたらきを持っているんです。「意味あるとされるものを無にする」わけで、往々にして、「意味」というのは「世の中の常識(ドクサ)」で、ただ、誰もそういっているという程度の、怪しげな「世論」に過ぎないんです。「世論調査」は、ぼくに言わせれば「世論操作」であって、天気の具合で変わる、落ち着かぬ「気分」みたいなものです。
もし、一つの問題に一つの答しかないのなら、だれかが正解だと思われる答をだして、あとはそれを「みんな(全員)」が覚えればいい。「みんな、いっしょ」というのは、一人一人を区別しないということです。全体主義ですね。「答えはたった一つ」、そんなことはあり得ないことです。あったとしても「(その一つは)さしあたり・当座の答え」であって、さらに求めなければ、いいものが見つからない。ひょっとしたら、正解なんてどこにもないのかもしれない。ただそれを正解らしい、正解のようだと思いこんだり、思いこませられたりしているだけなのかもわかりません。「さしあたりの正解」を「究極の正解」だと仮決めしているに過ぎないんですね。それが正しいと見誤ると、それ以上は考えようとはしなくなる。もっといえば、自分流に、自分流の「答」を見つけようとする(自問自答する)こと、それこそが「ものを学ぶ」という行為の意味だと、ぼくは考えているのです。(2021/08/28)

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