その3(承前)
以下の文章は、毎度おなじみの鶴見俊輔氏のものです。こんなところに引き出してくるより、できれば一冊全体をお読みになるほうがはるかに意義が深いと思う。すべてが氏の体験談に裏打ちされていますから、読んでいてなるほどという具合に膝を打つというか、合点がいくだろうと思うのです。身に覚えがある人には、改めて、確かにそうだったなあ、また別の人には、ぼくの通った学校にも、こんな教師がいただろうか、と自らの学校時代を、懐かしさを含めた、あるいは悔いを残しているような気で偲ばされるのです。それにしても、俊輔さんは、何十年も前の小学校時代の出来事をよくぞ記憶していたものだと感心させられます。あるいはぼくにも、このような逸話が、一つや二つはあったのかも知れませんが、すっかり闇に消えてしまいました。というより、学校や教師に対してまず関心も興味も持っていなかったから、そんな出来事も記憶の中に入らなかったということの証明なのかもわかりません。本当に、ぼくは学校は好きではなかった。(嫌いだったというのより、少し複雑な、捻じれた感じがしています)あえて言えば、つかず離れずというのでしょうか、必要以上には接近しなかった。
この鶴見さんが語る逸話を、ぼくは何度も話題にしてきましたし、この話を何人かの人からも聞かされました。その一人に、ジャーナリストの筑紫哲也さんがいました。彼は鶴見さんとも交友関係がありましたから、この話が出ても不思議ではありませんが、いかにも、興味深そうに、鶴見さんがこんな話を書いておられたよといわれたのを、ぼくは昨日のように思い出しています。この人がこんなことに関心を持つというのは、書かれたのが鶴見さんだからか、あるいは学校教育に身を寄せているからだろうか、そんなことを思いながら、ぼくは少し意外だと感じたのでした。ともかく、それほどに、人の意表を突くような「反教育論」の原理・原型になるような逸話だと思いませんか。ここでいう「反教育」というのは、どこかでも触れましたが、「先生、そんなこと言っていいんですか」と、教師に異論をいうことが、教師自身を育てるし、教師は子ども(生徒)を自分の言いなりになる存在とは見なさない、両者に「いい分(五分五分)の関係」を築く縁(よすが)にもなるというほども意味です。教師にべったりだけではよくないし、反抗や反発ばかりでも何か生まれる契機がないんですね。

しばしば、こんな小さな「物語」が話の種になるのも、それだけ、当たり前の、あるいはとりすました「学校教育」の常識(イロハ)を掘り起しているからだと思うのです。つまり、「こんなすごいことを子どもというものは考えるんだなあ」という、常識に立つ人(大人)の驚愕であり、驚嘆であったといえます。一人の子どもの発想によって、脳天を割られるような衝撃を受けた教師がいたという証拠でもあるしょう。その驚きを教室の子どもに語り聞かせた教師、そして、この話を終生忘れずに考えつづけた同級生、それらを晩年になって記録に残した鶴見さん。なんだか「三人寄れば文殊の知恵」の譬えのように、学校教育を根底から考えなおす、おおきな糸口となった「エピソード」でした。ぼく自身も、修復不能なまでに、なけなしの脳髄を破砕されてきました。
この一場面は、忘れるにはあまりにも印象的であったし、教育の前提になる「教師と生徒(子ども)」の関係の原型にしたくなるような問題を含んでいると、ある人たちに考えられたから、小さなエピソードだったにもかかわらず、今に残っているのでしょう。鶴見さんは、東京高等師範学校(現在の筑波大学)付属小学校に入学します。1929(昭和4)年のことでした。この間のいろいろな経験が、鶴見さんが教育を考える根底を形成したといえるでしょう。その教育は、実に振幅の大きなものでした。この「算術の先生」の名前を聞いたような気がしますが、今では思い出せません。また、この逸話を長く記憶していた同級生の名前はYさんだったと記憶しています、間違っているかも。
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それはともかく、教師が問題を出し、それに対して子どもが答えるという、日常のありふれた教室風景を教師自身も破られたし、同級生の一人も深いところで、この問題が孕む教育問題を考えつづけていたことになる。ぼくが深く関心をそそられるのは、このような部分です。日常茶飯事(教師が教え、生徒が答える。正しい答えは一つ)を爆破したとも思われる、ある日の、ある教室の「ちょっとした出来事」でした。その問題の、その後がもっと重要な事柄になるのですが、それはまた別の機会に考えたいと思う。
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教育は、連続する過程であり、相互にのりいれする作業である。教える ― 教えられる、そだつ ― そだてるは、同時におこり、そして一回でおわるのではなく、その相互作用はつづいていく。
小学校一年生の最初の一時間におこったことを、ある人が晩年まで考えつづけた。算術の時間の始まりに先生が黒板に白墨でまるを書いた。紙がくばられて、みんながおなじものを書くように言われた。「できた人」ときくと四〇人のほとんどが手をあげたが、ひとり手をあげない子がいた。先生はその子のそばに行ってだまって見ていて、感心していた。その子の仕事が終わるまで待って、「○○君はこういうまるを書きました」と言って彼の書いた紙をみんなに見せた。そこには黒のべたぬりの上に白いまるがぬいてあった。

じっと立って感心していたとき、先生は何を考えていたのだろうと、老人になった昔の一年生は考えた。抽象にはいろいろあるのだな、と数学的に考えたのではないか。ただまるを写せといっても、いろいろな方法があるのだ。自分の中に、自分の出した問題がいくつもの問題にわかれてあらわれ、それらにたいするいくつもの答がこのとき浮かんだのだろう。もしこのとき、「早く早く」「まだできないの」「こんなまるを書いて」「これはまちがい」と先生が言ったらどうだったろうと。(中略)
終りに定義をこころみよう。教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである。それは、あたらしく生まれてくるものにとっては、まえからくらしている仲間をまねることからはじまる。しかし、もっとよく見れば、まねることの基礎に、それを可能にする、自分のはたらきがある。呼吸するというようなことは、他人からならう前からそれぞれの個人にある。もうひとつ。教えようとおとながこころみるときに、相手の失敗、抵抗、逸脱などから、自分の生き方への思いなおしのいとぐちを見つけることがある。
それが、教育が連続する過程であるということであり、教える ― 教えられるという相互的な過程であるということだ。ここではじめの言い方に限定をつけなければならない。教育は生き方をつたえるこころみと書いたが、論証の矛盾なく言いおおせるためには、生き方の中にあるものとして死に方を強引にひっくるめてしまい、死に方をまなぶことでもあり、くずれてゆく過程でもあると言いたい。

私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくとも教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらか変わる。(鶴見俊輔『教育再定義へのこころに』岩波現代文庫版、2010)
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(左の写真は東京高等師範学校。日本の学校教員養成の総本山(家元)。流派は「茗渓」会、各地の師範学校の教員養成をも一手に引き受けていました。現在の筑波大学に名称が引き継がれています。明治維新直後に学校教育を整備するために、突貫工事で教員養成がはじめられた、その中核を担うために急造された機関でした。お手本となったのは、今と同じで、アメリカの制度。彼の国の教員養成制度を学んで日本に移植したのです(中心になったのは伊澤修二氏)。現地では、師範学校は「 Normal School」 といわれていました。見習うべきは「お手本」「師範」「規範」という、その看板は、今日でも掲げられている。習字のお手本に倣うというような、写すべき鏡があったんですね。それに映った姿を模倣するというわけです。今につながる「教師像」(「教える人」の師範)(教師はかくあるべし)の生みの親、さらには育ての親であったと言えるでしょう。変な言い方ですが、「三つ子の魂百まで」というのか、「雀百まで踊り忘れず」というのか。*「雀は死ぬまで飛びはねる癖が抜けないように、若い時に身についた習性は年をとっても変わらない」ことわざを知る辞典)
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「じっと立って感心していたとき、先生は何を考えていたのだろうと、老人になった昔の一年生は考えた。抽象にはいろいろあるのだな、と数学的に考えたのではないか。 「○○君はこういうまるを書きました」 、それは教師にとって、考えもつかない子どもの発想だった。ただまるを写せといっても、いろいろな方法があるのだ。自分の中に、自分の出した問題がいくつもの問題にわかれてあらわれ、それらにたいするいくつもの答がこのとき浮かんだのだろう」と、実際に教師がそのように考えていたとしたら、それは実に驚くべき思索家であり、教育実践家であると、ぼくは今でも考えつづけている。自分の出した問題が、子どもたちにどのように受け取られるか、そこに興味というか、微妙な鉱脈を掘り当てるように、それに触覚を伸ばそうとする教師は、この社会にどれほどいるでしょう。実際のところ、彼はどんなことを考えたのか、「他人(子ども)に何かを伝えることは、なんと難しいことだろう」と思ったかもしれません。あるいは話したことが伝わらないという一例として、風変りな子どものことを言いたかったのか。本当のことはよくわかりませんが、教師の問いに対して、一人の子どもの「驚くべき」受け取り方に驚愕する教師、果たしてそんな教師がいたのかどうか。それを想像しただけで、ぼくはウキウキしてくるのです。
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同じような逸話をもう一つ。これも、ぼくには強烈な印象を与え続けています。「自信」をもつことは大事ですが、それが過剰になるととんでもないことになるという見本です。でもよくよく考えると、ホントに自信のある教師(大人)は、自分の弱点を子どもにも隠さない人でしょ。もちろん、自分に隠すようなことはしない。自分に欠点がある、弱点があるということが、その人を成長させてくれる原動力になるんであって、それがないと、どんな大家でもダメでしょうね。以下の引用に出てくる「大先生」はとても高名な方でした。その人にして、この為体(ていたらく)というべきでしょうか。えてして「物知り」は他人を見下すのが上手というか、それしかできないのかもしれません。物知りにはなりたくありませんね。
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私(鶴見)は中学二年のときに、冨山房の英語の辞書の監修をやった先生に教わったことがある。生徒が教科書を音読してoftenを「オフテン」と発音した。そうしたらその先生が「それは違う。君のことを、これからオフテン・ボーイと呼ぶことにしよう」と、侮辱するんだ。もちろん、先生は「オッフン」が正しいと思っていた。ところが、それから一年ぐらいたって、私はアメリカのニューイングランドの学校に行くことになった。そこでは、先生も生徒も「オフテン」と発音しているじゃないですか。私は、「オッフンという発音は間違いですか」と聞いた。そうしたら、「省略してオッフンということもある」っていうんです。(鶴見俊輔「好みの問題」)
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この英語の先生は絶対の自信をもっていたにちがいありません。でも、その自信はどこから来たのでしょうか。学校の先生にかぎらないけど、しばしばこのような自信家に出会うことはありませんか。「これしかない」という視野狭窄、「これだけが正しい」という独善主義。それはいたるところに蔓延っています、今も昔も。学校は「我は物知り」といいたがる人材の宝庫(いや倉庫か)なのかもしれません。本当は「物知り」の内容や程度が大事なんですよね。「星は何でも知っている」という歌謡曲がありましたが、さしずめ、「教師は何でも知っている」と、子どもたちは思い込まされていやしないか。ただの人間やんか。過ちを犯さない教師なんて、そんなことはほとんどないんだ。政治家だって、「憲法改正」などという奴に限って、まともに憲法なんて読んではいない、確信を持って言えます。偉ぶっているだけで、中身は空っぽか、それに近いんですね。この英語の先生もそうじゃなかったでしょうか。英語の成り立ちから言っても「オフテン」に根拠がありますよ。それが専門家なんだ。
鶴見さんは同じ文章で、次のようなことをいっておられます。

試験、とくに入学試験や就職試験というものはよいもので、身分制度を突きくずし、民主主義を生みだす基礎になる可能性が、それによってもたらされたからです。ところが試験の結果に一喜一憂し、試験問題には厳密性が求められるようになると、事情は大きく変わってきました。使い方次第だというのでしょう。暗記一辺倒というのは、どう見たって、試験の悪い使い方でしかない。
「いまでは、コンピューターをあいだにおいて、コンピューターで片づけやすい問題の出し方をします。つぎの文のなかの正しいものに〇をつけよというふうにです」
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近代日本の入学試験制度を支える二つの思想上の前提(架空の前提)

その1 出された問題には正しい答は一つ
その2 出された問題の正しい答を知っているのは教師
さてどうでしょう。この二つの前提はとても疑わしい(というか、嘘です)けど、この疑わしい前提(嘘)は学校にあってはなかなか揺るぎそうにありません。教師たちが勝手にこしらえ挙げた作り話(神話)に過ぎないことは百も承知なんですね。この前提が、もし揺らぐようなことがあったら、試験はもちろん、授業も成りたたない、それどころか学校が存在出来ないと、教師をはじめ、多くの人が考えているのかも知れません。学級崩壊ではなく学校崩壊が発生するでしょう。
でも、実際のところ、often のようなケースはいくらでもある。仮に「英語」や「国語」の試験問題があったとして、どの問題にも一つしか正解がないということはあり得ない、考えられないことです。二つかも知れないし、三通りあるかも知れない。ものすごく英語や国語の(解釈)力がある人がみれば、さらに多くの正解があるにちがいないのです。たくさんあると困るのが、教師なんだね。でも、やはり言いたい、「これしか・これだけ」という「ことば(を発する態度)」はご法度にしたいね。(2021/08/20)
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その2(承前)

以下に引いたのは、かなり前の記事です。この連載(「学校とわたし」)は今も続いているようですが、ぼくはまったく読んでいません。だから、この記事は、この新聞を購読していた時代の名残りです。十四年前のもの。きっと、学校はまったく変わっていないか、ほとんど変わっていないんじゃないですか。ここに出てくる「あさのあつこ」さん、名前は聞いて知っていますが、彼女の書かれたものは一つも読んでいません。だから、彼女の何かを評価したり判断したりするつもりはない。新聞記事の一つとして、そこに書かれている内容を勝手に解釈するだけです。この記事に限らず、どんなものでも、ある種の作為というか、加工が施されているのは新聞などの常です。だから、それを割り引いて読む必要があります。「話半分に」ということです。
ぼくが言いたいことは、学校は変わらないし、変われない、さらには変わろうとはしないということ、それだけです。はじめはなかなか面白くても、やがて平凡というのか、並みいる、そんじょそこらの学校と区別がつかないようなものになってしまう、そんな学校をいくつか見てきました。これも、ぼくは依頼されて各地の学校に、まずい面(つら)と、拙い話をぶら下げて巡回していた経験から学んだことです。学校巡りに大きな目的があったのではありません。「頼まれたから」、それだけです。公立・私立取り混ぜて、いったいどれくらいになりますか。商売ではなかったので、数はしれていますが、そこからいかにもたくさんのことを学んだということはできそうです。

その時の経験を話せばいいのでしょうが、そんなことは語るに値しないという自覚がありますから、それはしません。とにかく、この島の東西南北、いずこの学校も「似たり寄ったり」で、何でこうなんですかという疑問ばかりが膨れ上がっていった。そうなる理由は分かりそうです。学校の独自性も、教師の独創性も、子どもたちの創造性も、おしなべて学校では歓迎されないということです。(そうじゃないと思われる学校も、数は少ないものの、ぼくはよく知っています。いずれどこかで触れたい)学校には、ぼくたちが想像する以上に壁というか、溝というか、越えられない障壁(ぼくからすれば)が存在しているのです。教育制度や組織面から見れば、学校も「一つの官庁(役所)」なんでしょうね。私立・公立の区別なしに、です。役所だからいけないというのでもない。面白い役所があってもいいじゃないですか。ぼくも必要に迫られて出かけますが、一度だって「お茶をどうぞ」といわれたことはない。四角四面、まるで例外を認めないふりをしています。実際はそうじゃないのに、サービス業だという自覚がほとんどか、あまりないんですね。発想が貧困ではないかと、常々思っていました。面白いことはご法度という雰囲気さえあるのです。
その幾分かを以下の「学校とわたし」が代弁しているように思えました。安直ですが、それをお借りしようという寸法なんです。乱暴な言い方をするなら、学校なんて「行っても行かなくてもいいや」という、そんな、ゆるゆるの気持ちを失わなければ、まあ、あってもいい場所じゃないですかというところですかね。
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毒になるものこそ面白い=作家・あさのあつこさん
楽しいことが多かったのは小学校の時。5年生だったと思うんですけど、宿直当番だった先生が「星を見せてやるから(学校に)来い」って。夜、わくわくしながら学校に行くと、天体望遠鏡が備えてあって、土星が半分映っていた。すごいショックで……。星ってチカチカ光っているとばかり思っていたけど、実は違って、全然光ってない。その時初めて、自分の周りの世界が、もしかしたら私たちが思ったり目で見ただけではなくて、いろいろな形をしているのではないか、と感じました。知らないことがいっぱいあるんだと、子ども心にすごく記憶に残っていますね。

小学校卒業までは本当に本を読みませんでした。中学生になってシャーロック・ホームズにはまって、そこから海外ミステリーに。高校ではサマセット・モームの小説「人間の絆(きずな)」に登場する悪女ミルドレッドに、ものすごい衝撃を受けました。大人は子どもに「立派な大人になりなさい」「良い人間になりなさい」って言いますよね。でも、その正反対の女性がこの小説の中にいて、こんなにも魅力的じゃないかと。大人が言うような人間だけがすてきなんじゃないという、人間の多様性のようなものを教えてもらったと思っています。
元々、物語や小説って毒だと思う。薬になるものより、毒になるものこそが面白いと思うんです。学校とか親というのは建前の世界で、薬になること、役に立つことを教えるわけですよね。社会勉強も含めて教えてもらうのが学校なので、それを否定する気はないです。ただ、本に出合わなくて、学校とか家庭も含めた大人たちが構築している世界だけで生きていたら、すごくつまらなかったと思うんですよ。悪女であること、男を滅ぼすこと、あるいは男とともに滅びることとか、そういう全部を私は高校時代に小説や物語から教えてもらった。

学校を絶対視する必要はないと思う。学校がすべてだと思ってしまったらものすごく息苦しい。だからある意味、ぎりぎりになったら捨てられる、放り投げても良い世界だと私は思っているんです。<聞き手・佐藤慶>
■人物略歴◇あさの・あつこ=1954年、岡山県生まれ。青山学院大文学部卒。小学校講師を経て91年、作家デビュー。中学校野球部を舞台にした小説「バッテリー」シリーズで小学館児童出版文化賞などを受賞。(毎日新聞・07/11/26)(この記事は、どこかで引用した記憶がかすかにあります)
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ぼくは早い段階から学校に不信感をもっていた。それはいま(八十歳前)になっても変わらない。全否定でもなければ全肯定でもないという意味です。自分の居場所は学校だけだとは思ったこともなければ、学校でこそ自分を表せるなどという狭い考えにとりつかれたこともなかった。教師には覚えはめでたくなかったのは当然だったし、媚びを売った記憶もない。恥ずかしくて、そんなことできるかという性分でした。だからこそ、その逆をやって見たくて、教師の真似事をするようになったともいえるんです。
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「学歴社会は、学校を重んじるように見えはするけれども、実のところ学校の教育を重んじているわけではなく、何々学校を出たという学歴(学校を出たこと)だけを重んじているわけで、教育のほうに関心はむいていない。(略)/ そこでは、そだてる―そだてられる、世代から世代への文化のうけわたしということは、なりたちにくくなっている。今の日本の学校は、そういうふうになってきている」
「そういう側面だけだということはないし、だから学校を全部やめてしまうのが、教育回復の早道だと、メキシコの神父イワン・イリッチにならって、唱えようとは思わないが、しかし、学校には教育として欠けているところがあるということを見すえて学校にいくようでないと、学校のえじきになってしまう。そういう不信の心があって、はじめて、教師と生徒とがたがいにもうすこしちがう仕方で、今の学校で出会ってみようという、志もうまれる」(鶴見俊輔)
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鶴見さんがいおうとするのは「教 ― 育」の「教」だけがあって「育」が決定的に欠けている「学校教育」の現実の問題点についてです。(この引用文にぼくは驚いたことがあります。まさか鶴見さんはイリッチの本を読まないで書いたとは思わないんですが、「学校を全部やめてしまうのが、教育回復の早道だ」というようなことはイリッチは言っていない。それらしいことは述べたようですが、よく読めば、それとは意味が違う。~この点については、ぼくは別のところで触れています。「学校をなくせ」といった。という方が面白いのでしょうが、イリッチはもっと微妙なことをいっています。また、イリッチはメキシコの神父ではなかった)
「学校には教育として欠けているところがあるということを見すえて学校にいく」とはどのような意味でしょうか。また、そのように「見すえて学校にい」かなかった結果、「学校のえじきになって」しまった人もたくさんいると思われます。「えじき」になるとはどんなことか、それを考えてほしい。彼は「不信の心」などということばもつかっています。それはなにをさしているのでしょうか。
教師が話す(教える)ことに対して「そうもいえるけど、しかし…」と立ち止まることだといっていいかもしれない。でもそれは簡単ではないはずです。思いの外むずかしいでしょう。だからといってそれを「飲み下す」と「学校のえじき」になってしまう。まあ、これは一種のたたかいみたいなもの。だまって教室にすわってる場合じゃないんですね。「先生、そうおっしゃいますけど、…」こういうことが軽く言えるといいね。「教師の沽券」にかかわると言われそうですが。あさのさんも同じような意味のことをいっておられるでしょう。その部分に惹かれて、ぼくは引用をしました。(もちろん、話半分に聞いておくのを忘れてはいません)

「学校を絶対視する必要はないと思う。学校がすべてだと思ってしまったらものすごく息苦しい。だからある意味、ぎりぎりになったら捨てられる、放り投げても良い世界だと私は思っているんです」
自由でありたいと願っている子どもたちに、学校は不自由を自由だと錯覚させるようなふるまいしかしない。気をつけ、並べ、右向け、あいさつしろ。いったい子どもを何ものだとみなしているのでしょうか。「学校には欠けているところがある」というのは「軍隊には欠けているところがある」というのと同日の談で、強制や矯正や強請が「教育」の別名になっているからです。そこのところを弁えておかないと、見事にえじきになるのはまちがいなしです。

【餌食・えじき】(1)動物の餌として食われる生き物。えさ。
(2)他人の欲望や利益のために犠牲になるもの。くいもの。
「暴力団の―になる」(大辞林)(2021/008/15)

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その1(上に続く)
以下は、ある年少の日本人が七十年も八十年も前に経験した「大学(入試・講義)体験談」の一部を引用したものです。あくまでも、過去の一時期の日本人(高校生から大学生に相当)が異国で遭遇したエピソードであり、彼の体験を一般化することはできないし、その入学試験制度が今も続いているとか、大学入試や大学の授業は「かくあるべし」というために、わざわざ選んだものではありません。国柄という言葉がありましたが、自分の器量や容量に合わせて「文化(制度・組織・システム)」というものを、いずれの国も生み出し維持してきたのです。だから、それを表面から見るだけでは何ほどのことも言えませんが、大まかなところで、大学教育で何を求めるのか、就学時には何が課題となっているか、そのような事柄を知る手掛かりやヒントにはなるのではないかと考えたまでのことです。

だれにとっても学校における「試験」「教師」「友人」に関わる思い出の一つや二つは、いつだって掘り出せるような代物でしょう。それだけ、いい悪いを越えて、学校時代は一人の人間の「成長」「性格形成」にかなり大きな部分を占めているともいえるのです。それにしても「人間の器量」がもっぱら学校での成績(の出来不出来)に依拠している、この島社会の今昔に、ある点では絶望すら覚えたものでした。その絶望感はすっかり消えてなくなったというのでもない。しかし、やがて学校に対する自分の姿勢(学校の見方・学校との付き合い方)を変えることによって、ぼくはいくらかは物事が見えるようになったという気になったりしたのです。
そのための「外からのまなざし」は、小さな部屋の空気の入れ替え(換気)に似た、あらたな視点を与えてくれるという点では大切な一事であるのは確かです。学校や教師との付き合い方を変えたと言っても、大したことではありません。ぼくは学校にはつかず離れずというか、危うきに近寄らずというような、適当な距離感を以てやり過ごそうとするようになっただけです。(今回の駄文は、一種のIntermezzoのような調子になりそうです。いうまでもなく、ブログ内の雑文・駄文は、一つの例外もなく、幕間に奏でられる「間奏曲」(暇つぶし)のような「お手軽」なものであり、これ自体で、ただちに雲散霧消するような文章群にほかなりません。さらに言えば、これは「練習曲」というほどのものであり、記憶管理細胞をこれ以上劣化させないための(無駄な抵抗ではありますが)、自主トレ用のメニューの一部です。だからと弁解がましく言うなら、至るところ誤字・脱字、逸脱・重複・再説・脱線、骨折・脱臼などが後を絶たない、屑々(せつせつ)たる文章の異形の堆積でもあります)
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~~~ ハーヴァードの入試はどういうふうにやるんですか。何時間ぐらい…?
カレッジボードと呼ばれる他の大学との共通試験で、採点だけ志望校でする。一課目三時間。ふつうは四課目取って、十二時間です。これを三日間でやる。非常にゆるいもんですよ。
問題を六つ選んで、エッセーを六つ書く。できなかった問題をはっきり覚えている。近代ヨーロッパ史で「ポーランド分割について」。これはむずかしい。一日準備すれば書けるだろうけれども、参考書なしで、三十分でポーランド分割についてエッセーを一つ書こうと思ったら、いまでも、書けないよ。その問題を落としたのははっきり覚えている。六つのうち五つは書いたけど。

~~~ 講義はどのくらいあったんですか。
千くらいあって、どれを取ってもいいんです。物理学の講義を取ろうが、天文学の講義を取ろうが、組み合わせ自由なんです。やさしい講義だけ取って、マージャンのように安く上がることもできる。むずかしい講義を取れば落ちる。そのリスクを考えなければならない。
~~~ 一年間にいくつくらいの講義を受けるんですか。
四課目とって四年で十六科目。ただいい成績によって免除がある。私は最初の半年で出席免除になった。点呼の名簿から外された。最後の年は、優等賞の論文を書いている者にはまた免除がある。十六取ればあがれるというのはらくなようですが。ただ一つ取るのはたいへんですよ。
講義はいくつ取ってもいいんだけど、一年に五課目以上は取れない。私は一つ多く、一年目に五課目、二年目に五課目と取って、最後の年に三課目取った。(鶴見俊輔『期待と回想(上巻)』晶文社刊)
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(「余録」にも、こんな上出来があったんですね。書くためのネタがいいからだというのはどうでしょう。すでに、どこかで既に引用したもの)
彼の地の大学の入学や就学に関する規定は細かな点では変化しているでしょうが、基本部分はいまでも大差ないのではないですか。この島の大学入試について言うなら、「朝令暮改」もいいとろです。しかし、それでも「内容浅薄」「生活遊離」という致命的な欠陥はついに治癒されてきませんでした。あげくに「マークシート」というクイズ形式用「塗り潰し」の蔓延です。それに接するたびに、困惑を通り越して、絶望の域に達しています。大学の劣悪化、大学生の劣等化は目を覆うばかりです。時代が過ぎるというのは、何事も劣かつ拙になるのは避けようがないんですね。どうして「劣化」が起こるのか、制度や組織もまた、健康診断なるものを受ける必要がありそうです。
時世時節が変わろうと、人間にあって変わらない核心部として、「ものを学ぶ」という行為があります。そのいうところは、「自分で学ぶ」(自得・自習・自覚・自学)であり、自分で学ばなければ、傍からはどうすることもできない。それは洋の東西を問わず不変ではないですか。そんな大切な経験を踏むことがこの島の大学で、いまもなお、若者によってなされているとは思えないんですね。なかなか難しい時代になったと気になるのです。学ばない・学びたくないために大学へ行くという逆説が生まれています。学ばなかった卒業生を大量に求めてきたのが企業社会でした。アメリカの事情はどうか。似たようなもの、此岸と彼岸、たぶん「五十歩百歩」ではないでしょうか。

たしかに、昨今のアメリカ社会の現実を見れば、いずこも同じ「秋の夕暮」、そう「黄昏」どきであり、大学教育がうまく回転しているとはとても思えないような状況を示しています。今日の世界にとっての急務は「アメリカを民主化すること」とまでいわれてもいるのです。「野蛮」が混沌の中で暴走しているという印象を、ぼくは受ける。この島はどうか。「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という麗しい伝統は健在ですね。でも「長いもの」も「寄りかかる大樹」もどこにも見出せないほど、この島は頽落し、呻吟しています。にもかかわらず、それだからこそ、その脇から新しい青年たちも生まれているのを眼にするのは喜びでもあります。「大学就学」が一人の若者にとって有していた値打ちは、相当に下落しましたが、その分、自分で判断する傾向もまた、萌芽状態ですけれど、いくらかは生まれてきたと見ているのです。
ここで言えるのは、ある人間にとって、「学校」は決定的な要素でもなければ、致命的な外傷を残すような代物ではないということ。一瞬の間に通過する、寄り道、通り道(バイパスみたいなもの、なくてもいいのです)に過ぎない。それにしては、カネも時間もかかりますがね。あちこちで「学校なんて」「学歴がどうした」、そのような学校から自分を引き離す傾向も認められます。しかし、やっぱり学校は重荷だよ、そんな表現で、学校の圧力を感じている若者が減少しないのも事実でしょう。その理由の一つに、自分の経験の根っこが曖昧になっているからです。何事も「経験する」のではなく、「…させられる」から、どうしてもその悪影響を受けてしまうのです。それでもぼくは、不適切な譬えですが、人間は、吹く風のままに引き飛ばされる紙屑のようなものではない、と言いたい気がします。したがって、学校で傷つくのは、本人が「弱い」からだというのではなく、あまりにも感受性が鋭敏であるからであり、それはどこにいても傷つけられやすいということ(vulnerability )を指します。その感受性は大切なものです。だから、いらぬ風圧を避ける工夫は、誰にとっても、きっと求められる。学校は風そのものであり、防風林には、けっしてならない。学校という風に間向かう、自分流の姿勢を獲得するための練習期間、それが就学期でもあるのではないですか。
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わが社会における「学校教育の現在」はどのようになっているのでしょうか。相も変わらす、学ぶ代わりに教えてもらう、教えられたがる子どもと、教えたがる教師の二人三脚。教えられる役割に徹する生徒たちや学生たちと、教えるという課業に特化する職業教師。いまもって、「次の中から正しい答を選んで、解答欄に記号で」というテストが横行しているのではありませんか。かかる愚かしいテストの横行は、どんな作用や反応を教師や生徒たちに及ぼすのか。教師は育てようなどとはみじんも考えないで(というのは言い過ぎですか)、もっぱら教えこもうとする。どうしてこんな教育方法(スタイル)が長年にわたって勢力を持ちつづけてきたのでしょうか。子どもたちの出来不出来を発見する「簡便な方法」であったからでしょう。出された問題に正答は一つ、それを知っているのは教師だけ。これも嘘ですが、罷り通るところが学校が悪用する欺瞞です。こんな動物戯画がみられなくなってはじめて、学校が、少しは子どもの成長に資する可能性が生まれます。

<銀行型教育>の目的と方法
教師が話し、生徒が聞く―こんな教育というか授業が多くの教室で見られますね。先生が話したことを受け入れ(receive)、記録し(record)、くり返す(repeat)。授業における3r’sですね。もし先生が何も話さなかったら、授業(learning)はなりたたないとみなされる。また、このような授業では、生徒は先生のいうことを静かに、従順に聞くことが求められる。そのとき生徒は、patient, listening objects というわけですね。これが「銀行型教育」です。フレイレという人が命名しました。
日本の古い教育方法に「瀉瓶」というものがありました。今でも「家元」制度がありますね、華道とか茶道とかに。あれです。ぼく個人にとって、これは絶えられない教育方法である。一滴の漏れもなく、師から弟子に受け渡されるというのは、いったい何なんですか。世に「免許皆伝」とも言いましたが、「まっぴらご免」というほかありません。当事者たちには神秘的でもあり、門外不出という掟があれば、なおさら秘儀の相伝と受け取られるでしょう。だから、このような無駄口・悪口のような言説は、これを理解しない、あくまでも部外者の勝手な愚考です。秘儀も秘伝も見当たりませんが、どこか、授業の仕組みが「寫瓶」に似ていなくもないと。教師から与えられた「正解」を暗記できる子どもは「免許皆伝」に近くなります。百点至上主義がそれを証しているんじゃないですか。

●しゃ‐びょう【瀉瓶・写瓶】(瓶の水を他の瓶に移し入れるのにたとえる)仏法の奥義を遺漏なく師から弟子に皆伝すること。写瓶相承(そうじよう)(広辞苑)
●しゃびょうそうじょう/瀉瓶相承=師から弟子へと教法が次々に受け継がれていく際、その教法の授受が、あたかも一器の水を他の一器に移すように、一滴たりとも遺漏なくすべてが伝えられ、受け継がれていくこと。写瓶相承とも書く。師資相承は一宗の奥義を伝え、授受伝承されるものであるから、師の教えが正しく、間違いなく伝えられねばならない。その授受がすべて完全にそのまま移されることを示す言葉である。(新纂浄土宗大辞典)

「銀行型教育」を徹底すれば、まるで「瀉瓶」になるんじゃないですか。伝えられたことをそのままに、加工しないで(自分流に工夫しないで)、同じものとして受け入れる(鵜呑みにする)ということです。このような教育(授業)からはどんな結果が生じますか。鵜匠と鵜の関係です。呑みこんだアユを胃袋にまで入れないで(自分の栄養にしないで)、吐き出させる。ぼくは、中学校時代から、この連想に恐怖を覚えていました。少年時、遊び場にしていた嵐山にも「鵜飼い」がありました。毎年夏になると、腰箕のをつけた鵜匠と、紐で束縛された鵜たち、そして篝火(かがりび)を煌々と焚いて、観光の目玉にしていた。ぼくは、よく本番前の鵜を眺めたものです。せっかくの獲物を吐き出させられる、そんな訓練をそれこそ、猛烈にやっていた。教師は鵜匠なら、「俺は鵜かいな、いややで」と、なんだか学校に行くのがバカバカしくなったことを記憶しています。

《 先生っていうのは、そんなに役に立たないと思うな。今の若い人は、先生のところへ行けば何かを教えてもらえる、などと考えている。違うんだよ!誰も教えることなんてできないんだ。教わろうったって無理なんだ。先生はたしかに上手に弾けるだろう。しかし、それは彼自身の方法で上手に弾けるんだ。それをいくらそっくり真似たって、同じ音など出せっこないよ 》
《 だから私は、こう思うんだ。教師の役目とは、生徒の心を開いて、生徒自身が進歩していくことを助けることだと。その意味で先生は、教えてあげることなんて出来ないとハッキリ告げるべきだと思うね。生徒は、自分の力でやり遂げなくちゃならないんです 》(ナタン・ミルシュタインというヴァイオリニストが、もう一世紀近く前に言っていたことです。いまでも当たり前に通じる指摘ですね)(この部分も、以前に紹介したことがあります)(註 右横のテスト4⃣がすべて、マイナス一(一点減点)になっています、どうしてだ?もし、ぼくが考えた通りなら、この教師は鵜匠ではなく、ただのバカです)
<教える―学ぶ>とはどんな関係だろうか
「教師が教え、生徒は学ぶ」というふうに、多くの場合は考えられています。でも、厳密にいえばそれは間違いで、「教師が話し、生徒は聞く」というのが実情に近いんじゃないですか。例えば、「(先生が)英語を教える」というのと、「英語を話す」というのでは、あきらかにちがいますね。この部分をさらに考えてみる必要がありそうです。ここには面倒な、しかも大事な問題がありますが、ぼくのいいたいのは、本当に〈教える―学ぶ〉関係というのはどういうことなのか、それをていねいに考えることが肝要だということです。
〈考える〉、これを英語では〈think〉といいますね。この単語から作られた言葉にthoughtfulという言葉があります。人間の成長にとっては食物(栄養)を摂取するのと同じように、ものを考える材料(コトバ)を取らなければどうしようもありません。ものを考えるというのは、コトバを用いてすることです。それがなければ、考えることはできないんじゃないでしょうか。学校教師の、為すべき仕事がここにある。

・thoughtful=1 思想の豊かな; 思慮深い; 思いやりのある, 情け深い, 親切な.
2 考えにふけっている, 考え込んだ.
・rethink(unthink)という言葉もあります。一度「考えた」ところを、もう一遍「考え直す」ということです。
さらにいえば、I think.ということが成り立つためには、その前提として、We think.がなければならないんじゃないか。「わたしが考える」ためにこそ、「わたしたちは考える」をていねいに経験しておく必要があるのだと思うんです。教室が欠かせない、その要因です。
「知識」はだれかから与えられるものじゃなく、みずからがつくるものであり、そのためには〈対話〉が欠かせないということを考えてみたいんですね。その時、教室で沈黙を強いられるとはどのようなことなのか、このことも合わせて考えてみることが必要じゃないか。「静かにしなさい」「黙りなさい」は、多くの教師の常套句でしょ。子どもを黙らせて、何をしようというのか。
This is why dialogue as a fundamental part of the structure of knowledge needs to be opened to other Subjects in the knowing process. Thus the class is not a class in the traditional sense, but a meeting-place where knowledge is sought and not where it is transmitted.(Paulo Freire)

ものにはいろいろな〈学び方〉があります。学ぶ内容に応じた〈学び方〉があると言った方がいいかも知れない。でも、どんな場合にも「自ら学ぶ」という姿勢が大切じゃないですか。そして、ほんとうに何かを〈学んだ〉ということのあかしは、自分が変わるということです。自らがが変わる、それが学ぶです。
わがままな人間がわがままでなくなり、意地悪な人が意地悪でなくなる。飽きっぽい人がそうでなくなり、平気で嘘をついていた子どもが正直になる。このように変わることが、ものを学ぶということの成果なんだと、ぼくは思ってきました。当たり前ですが、誰かのためではなく、自分のために「学ぶ」んですね。そのための練習が〈授業〉ということではないでしょうか。大切なのは「注意深い人」になるということです。多くの人は他人に「注意する」と考えているようですが、違いますね。注意は自分にするものです。この「当たり前」が、学校や教室では「なおざり」にされていませんか。

だから、そのような(自分に対して注意深い人間になろうとするための)〈授業〉を作ることこそが、教師といわれる人の務めじゃないか、とまるで他人事のように思い続けてきたし、教師の真似事をほんの少しばかり経験しただけの人間にとって、できもしないのに、そんなことばかりを考え続けてきたのです。三つ子の魂百までといいます。ぼくは三つ子時代に何も考えていなかった、だから魂なんて、もててはいなかったのですから、こんな無理難題を誰かに言えた義理じゃないんです。
でも、いまも学校にいるこどもたち、これから学校に行くであろう子どもたち、さらに今、現場で苦労されている教師たち、奇特にもこれから現場に入ろうとしている多くの未来の教師たちに、陰ながら、ささやかなエールを贈ること、それが「自主トレ」に明け暮れている、一介の無名耄碌&徘徊老人の暇仕事でもあるような気がしているんです。灼熱地獄の淵を危なっかしく、とぼとぼと歩いています。(2021/08/05)
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