可咲一嚢 与一鉢 生涯瀟破風

 良寛は、江戸時代の後期(1758)に越後出雲崎の名主橘屋山本家の長男として生まれ、幼い頃から学問に親しみました。22歳から岡山県の円通寺に赴いて仏道修行に励み、35歳頃で越後に帰りました。

 そして空庵を転々とした後、五合庵に定住し、その後乙子庵に住んだ後、和島の木村家草庵に移り、74歳で示寂しました。

 このように、良寛は円通寺を離れてからは、生涯にわたって寺を持たず、貧しいながらも清らかな生き方を通しました。

 そうした中で、多くの詩や歌を詠み、それを書き遺した作品は、日本美の極致とまで絶賛されて、今に伝わっています。http://www.ryokan-kinenkan.jp/)(20/08/08)

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(←↑安田靫彦画)
聞道宜洗耳 不則道難委(道を聞くには、よろしく耳を洗うがいい)  
洗耳其如何 莫有在見地(なぜ耳を洗うのか 私見の有無をみるべし) 
見地裁有在 与道相離支(私見があれば 道からそれてしまう)
似我非為是 異我是為非(自分と同じなら是とし 違う意見なら非とする)
是非始在己 道即不如斯(是非は自分の側にあり 道はそんなものじゃない)  
似篙極海底 祇覚一場癡(それは竹竿で海底をつくようで まるで一場の痴を知るようだ)(*恣意は不可ですが)  

 「道」とはなにか。これを求めたのが論語であり、あるいは中国の朱子学や陽明学の思想家たちでした。日本では徂徠や仁斎などは熱心でした。以来無数に出現しました。「国学」などという代物まで。ぼくは若気のいたりで「仁・徂」二尊を齧りました。生意気にも、いろいろと学んだと思っています。「道は知りがたし」というべきか。「道」とは、元来は政治の方法でした。今はまあ、生き方(way of life)といったところでしょうか。道徳とも違いますが、そんなことは邪見ですから。良寛さんのいうところに「耳を傾ける」ことにしましょう。「耳を洗う」というのは、耳垢を除いておけということ。

 さて、誰(何)から「道」を聞くのか、これは大問題かもしれません。良寛さんの場合は、一義的には先哲です。もちろん宗教家であったことは確かですが、彼は無数の人々(あるいは子どもたちも含めて)から謙虚に学んだし、学ぼうという姿勢を一貫した人でしたから、この人こそ彼の師であるとは言えそうにありません。いずれにしても自説は邪説とみてまちがいはなく、虚心坦懐に学ぶことを尊いとしたといえそうです。自説にあえば是、自説に異なれば非という狭い了見を戒めたと受け取っておくことに、ぼくはしています。是非善悪を自らの判断で決めておいて、先哲に「道を聞く」もないものでしょうから。

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