いでや、この世に生まれ…(20/05/01)

 人は、己を約(つづま)やかにし、奢りを退けて財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは、稀なり。(「徒然草」第十八段)

 …真の人は、智も無く、徳も無く、功も無く、名も無し。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより、賢愚・得失の境に居らざればなり。…万事は皆、非なり、言ふに足らず、願ふに足らず。(同上・第三十八段)

 或る人、法然上人に、「念仏の時、眠りに侵されて、行を怠り侍る事、いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。(同上・第三十九段)

 老い、来りて、初めて行ぜんと、待つ事勿れ。古き墳、多くは、これ少年の人なり。図らざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとするときにこそ、初めて過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りと言ふは、他の事にあらず。速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の、悔しきなり。その時、悔ゆとも、甲斐あらんや。

 人はただ、無常の、身に迫りぬる事を、心に、ひしと懸けて、束の間も忘るまじきなり。然らば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤る心も、まめやかならざらん。(同上・四十九段)

 (背景の写真は「卯都木」(「卯の花の匂う垣根に…♪」)