すべて、あられぬ世を念じすぐしつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。その間、折り折りのたがひめ、おのづから、短き運をさとりぬ。

すなはち、五十の春をむかへて、家を出(いで)て、世を背けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何につけてか執をとどめむ。
むなしく大原山の雲にふして、また五(いつ)かへりの春秋をなん経にける。(鴨長明「方丈記」)(浅見和彦校訂・訳:ちくま学芸文庫版)
(*「あられぬ世≒生きづらい浮世、世間」「たがひめ≒つまずき、蹉跎」「五かへり≒五年」)
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この雑文録を書き始めて、ちょうど二年が経過しました。指折り数えて待っていたのではありません。何の準備も計画もなく、それとなく書き出し、気が付いたら日にちばかりが過ぎていたというお粗末でした。それはまるで、それと気が付かないような、緩やかな勾配の坂道に止めていた車が、風が吹いたか何かの拍子に動き出した、気づいてみるとサイドブレーキを引いていなかったことが分かった、そんな危険でもあり、うっかりミスみたいにして、駄文が漏れ出したという感じがします。時と場合には、大きな事故を起こさないとも限りません。しかし、この駄文や雑文の類は、どう転んでも、事故や事件にはなる気遣いがない、そんな心づもりだけはありました。嘲笑の的にさえなるのかどうか。
こんなものを書き散らして、どなたかに読んでいただこうという魂胆があるわけではなく、そんな厚かましい根性がぼくにあれば、もう少し違った人生が歩けたのにという、まあ一種の自嘲というか、自重じみたなものはあったでしょう。他人事のようにいうのですが、そんな心算(しんさん)はみじんもありませんでしたし、今もない。いかなる「取り得(取り柄)」もない人間ですが、自分をごまかさないというか、偽ることだけはしたくないという覚悟を持ってここまで来たということは言えるでしょう。「自分をだましてどうするんです?」という心持です。それがどうしたと、言われれば、黙するほかない。誰彼に向かって弁明や弁解をするようなものでもないからです。

いかにも無頓着で、何の見通しも立てないし、羅針盤のような機器も一切なく、ひたすら手探りで、もつれたり切れたりしている「記憶の糸」を手繰り寄せるばかり、そんな駄文記録集積(かたまり)が二年も続いたから、いくばくかの感慨があるかと期待もしなければ、それらしいものは湧き出しそうにもありません。ぼくには「サラダ記念日」などというポンチ絵(punch)のようなものはないし、他人に迎合する、また受けを狙う、いやらしい商売っ気も一切ありませんでした。いつだってスッピンで生きていたかったという積年の願望を、いまも抱き続けているという風儀ですね。「自分をだまして、どうするんです?」この態度は、生意気を言えば「生き方の流儀」としてであり、他人に「お上手」が言えないのは、生来の「美点」であり「汚点」だったんでしょうね。
このブログ開始のきっかけは、後輩の現職教師からの「煽動」「教唆」であったかもしれないと、今でも思いこんでいるのです。その人は、東京のある私立学校の国語教師で、なかなかの仕事ぶりを、ぼくはいつも外から見せてもらっているし、そこから学ぶこともたくさんあるんです。言ってみれば、「ぼくの先生」だ。当人は嫌がるでしょうが、勝手に、そう思いこんでいる。ある時の電話で、「授業」とか「教育」などに関するヒントみたいなものなら、雑談に応じてもいいよ、そんなようなことをいった記憶はあります。それが「駄文・雑文」になっただけでした。
ぼく自身、数年前まで、都内の学校に勤務していた。教師の真似事と自分では思っていたし、そうも広言してきたのですが、なんとなく、惰性で勤務していたという「為体(ていたらく)」でした。怠け者の上に、「努力」という言葉がお仕着せがましくて、じつにいやなものでしたから、自分の能力(何事に対する能力か?そもそも、ぼくは無能に近い人間ですよ)を高めるための「精進」はほとんどしてきませんでした。「頑張る」とか、「やり遂げる」「手を抜かない」という姿勢なんかは、ぼくはいつだって敬遠してきました。やれる時にやる、その気になれば、いつだって。そんな「ちゃらんぽらん」な気持ちで動かされてきたのです。あかんたれでしたね。あるいは「がしんたれ」だったな。

(この「ちゃらんぽらん」という語は江戸期の文章にも出てきますが、「チャラホラ」が訛(なま)ったものという。これは今では「共通語」あるいは「標準語」になっているとしたら、「訛り・訛る」は、けっして退けられるべき言語表現ではないんですね。そのいうところは「いい加減」「無責任」のさま、あるいは「そんな人間」をいうときに使ったようです。そのような感覚から使われだしたのは「チャラい」ではないかと、チャラい人間は愚考する。「がしんたれ」はどうでしょう。早く言えば、「バカたれ」を言い当てたものです)
これと似たような表現で、ぼくは愛用したい語に「いけぞんざい」というのがあります。「龍宮へいけぞんざいなあわびとり」というのは川柳ですかね。「いけ」は接頭辞、「いけすかん」とかいう、「ぞんざい」は今でもよく使いますね。「いい加減」「粗末にする」「投げやり」その他、要するに、気儘(きまま)・我儘(わがまま)・出鱈目(でたらめ)・杜撰(ずさん)ということ、これがぼくの流儀でしたから、真摯な教師になれるはずはまったくなかった。なる気も、もちろんなかった。だから「真似事」なんですよ。
そんな人間が、いくら真似事とはいえ、教職によって生活の糧を得ていたのですから、それなりに、そこから得たものがあるだろうというくらいの気分、そんなものはある。教師の真似事であれ、それを四十数年、それ以前の真似事を含めれば、ほぼ半世紀におよぶ「真似事人生」を送ってきた。「石の上にも三年」でもなければ、「面壁九年」ではなおさらない、「偽りの教壇士五十年」という恥かしい話です。門前の小僧は「習わぬ経を読む」という例えのように、ぼくは果たして「習わぬ教をした」のかどうか。大きな疑問があるというべきでしょう。教職というものは、誠意をもってやっても、誠実なんか無用とばかりに、手を抜いていても、結果に大きな差が出ない場合が多いんですね。これも、ぼくは「真似事教師」時代に実見したところです。教職は、際限のない仕事だという教訓みたいなものは身に染みてわかりました。どれだけ打ち込もうが、そんなに力まなくても、「教育というものが生み出す結果」には、極端に優劣が付くようなものではなかったという意味です。もちろん、教師一人で相撲を取るのではありません。

独り相撲とか、独り舞台というのは言葉の綾というか、そのうようなこと言ってみたくなるという場面が、しばしば教育という仕事(教職)にはあるということでしょう。もっと言うなら、何かの都合で担当(担任)教師がいなくても、それなりに子どもたちの「学習」は進むものです。その反対に、子どもの要求や関心など委細構わず、話すだけ話す、そんな教師もいないわけではないのです。今時、そんな教師に居場所があるとは考えられないかもしれません。どこにとは言いませんが、どっこい、やはり堂々と生息しているのです。
教職に懸命になってもならなくても、教育効果に大差がないのはどうしてか。それが「偏差値一辺倒」「受験教育」「準備教育」がよくするところ、かくかくたる成果でしょう。個人の能力や性格が問題にされなくて、学歴や学校歴が過大に評価されている社会だからこそ、それに見合った教育(ぼくに言わせれば、非教育です)が幅を利かすんですね。そんな教育が重きをなすがゆえに、安閑として「暗記教育」に胡坐(あぐら)をかいてきたんです。このままで行くと、「胡坐」をかいたままで、学校という学校は討ち死に(野垂れ死に)するかもしれない。これを「座死」という。そんなことはあり得ませんが、学校は社会の実相を映していますから、学校が先か社会(集団)が先かはともかく、早晩、学校が壊滅するのは避けられない、いや、すでにその兆候はかなり前からみられています。海底火山の噴火が起きたときには、もう手遅れ、時すでに遅し、というわけです。
一流校とか名門とか、この時代に、どの口からそんな「陳腐」な言葉、まるで奈良か平安の世ですよ、そんな表現が出てくるのか。同じことですが、この島は「先進国」だというのは、滑稽を通り越して情けないというか、悲しすぎるね。ぼくは、先進とか後進という言葉自体を、国力や文化度の「優劣」に擬せるように使うことに抵抗があります。海底火山の大爆発で大災害に遭遇している「トンガ」、ここは、つい先日まで「コロナ感染者はゼロ」でした。緑と水、あるいは水や空の島、それが後進国だと、この劣島人は言えた義理ですか。
「わが大学は私学の雄」といった私大総長がいました。もちろん「男女驚愕(共学)」の大学でしたよ。また「この名門・超難関校に、よくぞ入学された」とほざいた旧帝大総長もいました。「自分の家は名門だ」などという人を、どう扱ったらいいんでしょうか。<There is no cure for a fool.>あるいは<There is no medicine for idiots>

学生納付金(授業料など)を「私腹を肥やす」ために、(自腹を切らずに)札束で自らを太らせるために、大金を貯めこんでいた「総長」がいました。なんと十数年間も、よってたかって「大学の私物化」「教育の蹂躙」を続けていたんですね。寡聞にして聞かないのですが、事件が発覚してから、教職員や学生がこの問題に対して明確な抗議をしたのでしょうか。これがすべてとは言いませんが、腐敗や堕落が日常(日大)茶飯事(ルーティーンワーク)になっている「最高学府」に、金まで払って、どうして入りたいんでしょうか。自らの人生を粗末にしてはいませんか。犯罪という危険を冒し、あるいは神社に願懸けてまで「入るに値いする場所」かどうか、まず自問すべきはそこからじゃないですか。入ってから、お金を収めてから気付いてもいいですよ。「高い授業料を払ったと思えば」という勉強法もありますからね。
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「すべて、世の中のありにくく、我がが身と栖(すみか)との、はかなく、あだなるさま、また、かくのごとし。いはむや、所により、身のほどにしたがひつつ、心を悩ます事、あげて計(かぞ)ふべからず。(「方丈記」)
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長明さんほどの深刻な嘆きもなければ、世の中に向ける怨嗟の念も、ぼくにはそれほどない。煩わしいと思いなすこともなければ、あったとしてそれをどうするという手立てもないのです。惨めたらしいことおびただしくもありますが、それが浮世ですよと言えば、この自分も憂き世を外にする身分ではなかったと思い当たるのです。自分一個の生き死にです、そんな寝言のような処世の術を、ぼくは勝手に作っていました。身の回り「方丈」ばかりには、気配りも目配りもしながら、醜い生態だけは晒したくないというのが本音でしたな。(「もう、君はじゅうぶんに醜態を晒しているさ」という声も、身の内から聞こえてきますが)
気が付けば駄文集積作業二年、まるで「賽の河原の石積み」ですね、どこまで続く駄目人間のわだち(轍)か、です。あまたの先達(せんだつ)に教えられながら、素面(しらふ)にもかかわらず「酔歩蹣跚(すいほばんさん)」と、洒落るつもりはなく、愚か者なりに考え考えしていきます。冗談ではなく、ぼくは目が悪くなって、まるで「酔眼朦朧」状態で駄文を書き殴っています。あしからず、とご挨拶まで。(2022/01/29)
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「私のただ一つの正当な義務は、私が正しいと考えることをいつでもすることです」というソローという思想家の言葉を、真に受けてしまう人間です。その意味では、一徹なんですよ。にもかかわらず、一面では融通無碍でもあるし、かなり大まかな質(たち)ですね。世間では「四捨五入」というのが相場ですが、ぼくは「一捨九入」などと言いふらしてきました。
その際に、捨てる「一」をも大事にしたい。まあ、それにいのちまでは賭け(懸け)ませんが、言うところの「一」も可能な限りで幅を持たせたい、受け入れたいという気持ちはあるんです。あえて言うなら「清濁併せ呑む」という態度が好きですね。清と濁は入り混じっているのであり、区別が難しい。だから、どう見たって、この世で生きるには「清も濁も」といくしかないでしょ。「お酒も饅頭も」というのでしょうが、数年前から酒はやめましたから、「花も団子も」「猫も杓子も」というところかな。(山埜聡司・やまのさとし)(22/01/29)