としよれば日の永いにも泪かな

2023年6月
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 表題の句は一茶です。似た句に「老の身は日の永いにも泪かな」があります。一茶が、日が長くなったという太陽(地球)の運行に「泪」をこらえられなかった、その境地は、相応の「としより」「老いの身」にならねば、実感できないものだと思う。「じゃあ、君はどうか」と自問自答するのが順序です。馬齢七十八歳の身であれば、紛れもない「としよれば」であり「老いの身」ではありますが、表面づらではなく、その胸中や如何と問われているのです。まだまだ覚悟が足りないのか、「日が長くなったなあ」という感覚はそれなりにあります。でも「だから、目に泪(涙)」とはいかない、これだけは仕方ありません。一茶、何歳の折りの句で、と言ってみても始まらない。「日が長くなったねえ」と、ぼくでも誰彼に向かって言ってきたし、自分ひとりにも話しかけていたこともあります。それに比べて、我が人生は「だんだんに暗くなっていくなあ」「日が長くなるという光明への希望」はもうありえない、堪(こら)えようのない底なしの「寂しさ」「心細さ」をつねに自他に訴えかけている友人(同い年)がいます。その訴えかけを句にすると、一茶がそこにいたということでしょうか。

 正直に言うと、この頃の日没(時間)が遅くなったという感覚はあります。けれどもその長くなった日の暮れ方が、わが生活の中では、まるで反対に、「釣瓶(つるべ)落とし」なんですね。昨日、一体何をしたのかと問い返すまもなく、今日が終わろうとしている。この「時間の過ぎゆく速さ」には驚嘆すべきものがあります。「徒然に日乗」などと洒落たつもりですかと非難されそうですが、何のことはない「過ぎゆく日々の備忘録」です。そんな他愛もない落書きでさえも、一体「昨日は何をしていたか」と、過ぎ去ったばかりの「数時間前」が記憶から剥がれているんですから、怖気付くとはこのことです。

 脳細胞内の神経伝達物質である「アセチルコリン」の減少が記憶機能障害を引き起こすという。またこの物質と「ドーパミン」の比率(バランス)がくずれると「パーキンソン症」に至るとも報告されている。だれでも年を取れば、なにかにつけて「目に泪」です。だから、この世界ではいたるところで以下のような「パズル」まがいが「存在の尊厳」(の有無)をかけるかのように実施されています。これを考案したご当人も「認知症」と判断されて、大いに話題になったことがあります。それがどうした、と言いたいね。いろいろな機能や能力に衰えが生じることが「としよれば」です、木が樹齢を重ねて倒れるが如くです。認知症だと診断されて、悲嘆に暮れることも絶望に陥ることもないものをと、ぼくは、一人静かに覚悟をしているのです。覚悟したところで、どうにもなるものでもないのですがね。

●問題1 お歳はいくつですか?(2年までの誤差は正解とする)●問題2 今日は何年の何月何日ですか? 何曜日ですか?(年、月、日、曜日が正解でそれぞれ1点ずつ)●問題3 私たちがいまいるところは、どこですか?(自発的にでれば2点、5秒おいて、家ですか? 病院ですか? 施設ですか? のなかから正しい選択をすれば1点)(以下略)(「改訂版長谷川式簡易知能評価スケール」の一部を抜粋)

 このテストを、ぼくは何度かやったことがある。試みに、である。ブレーキとアクセルの「踏み間違い」が老人(高齢者)に多発しているからと、「認知機能テスト」を免許更新の際に義務付けられた。ぼくはこれまでに三回受験した。ぼくの根性曲がりからすると、この問1~3は、あえて間違いたくなって困るのです。小学校時代の同級生に「知能指数」が極めて低いと判断され、特別クラスに回された K 君がいました。彼は「十三年後の二月十日」はと訊かれ、「何曜日」と、実に安々とに答えるのに驚愕したことを覚えています。どうしてそんなことが生じるのか、後年に、心理学や精神医学の学習で知ることになりました。

 若い頃(二十歳から十年間ほど)、ひたすら読み込んでいった人に小林秀雄さんがいました。一瞬の迷い(追っかけ精神)からか、鎌倉の彼の家まで押しかけたこともあった。その小林さんが八十を前にして病気になった。永い入院生活からようやく退院した時、しばし庭に咲いている「桜」をじっと見つめていたという。ふと見ると、目には泪(涙)が湛えられていたと、どなたか(家族)が書いて居られた。その涙を促したのは「底なしの寂寥感」だったろうか。それからまもなく、彼の訃報が報道された。まさしく、そこにいたのも「小林一茶」だったか。

 *余話として 小林さんと数学者の岡潔さんの「人間の建設」という対談本があります。学生時代に一読し、随分と触発された一冊でした。岡さんの「春宵十話」によって、ものの見方が広げられたという実感が残りましたね。ぼくは岡潔さんも大好きでした。岡さんは「ぼくは熱烈な民族主義者だ」としばしば広言していた。その心は、誰にも引けを取らない「タイガースファン(虎党)」だったのだ。奈良女子大の教授時代、授業中に飛来した蝶々を追っかけて、教室を出ていったという人でした。ぼくの偽らぬ感想から言うなら、この岡さんは、立派な「認知症」「狂気」を孕んだ人だったと思う。その根拠(証拠)はいつか暇な折に。(2023/02/11)

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