
《さて、我々は心理学者にも会いました。彼らは明らかに、とても善い人たちで、非常にリベラルで、物事を十分公正に見ることのできる人たちでした。しかし、もし彼らにとって、他人の財産を盗むことや、銀行強盗を犯すことや、売春することや、人を殺すことや、自分自身男であるのに男と肉体関係を持つなどといった行為全てが、ことごとく心理学上の問題で、心理学者は個々の人々がその問題を解決するのを手助けしなければならないというのなら、それは心理学者が本質的にシステムの共犯者であるという徴ではないでしょうか。軽罪を犯すとか、重罪を犯すということは、要するに、あまりにも基本的なやり方で問題にすることなのだという事実を、心理学者は隠蔽しようとしているのではないでしょうか。それが非常に基本的なやり方であるために、それが社会問題であることを我々は忘れてしまうのです。それが道徳的問題であるかのような印象を持ったり、諸個人の権利に関係しているかのような印象を持ったりするのです…》(「フーコー「アッティカ刑務所について」1974」)

(背景の写真⁂Aftermath of riots at Attica State Prison, September 1971.) (Buffalo News file photo)
「そこで、問題は、資本主義社会は刑罰システムにどのような役割を演じさせているのか、どのような目的が追求されているのか、こうしたあらゆる懲罰と排除の手続きがどのような効果を生んでいるのか、そうしたことを明らかにすることになります。そうした手続きは経済プロセスにおいて、どのような位置を占めているのか。それらは権力の行使や維持において、そのような重要性を持っているのか。それらは階級間の紛争において、どのような役割を演じているのか。」(「アッティカ刑務所について」嘉戸一将訳)「社会問題」とは何か、深く考えてみなければならないでしょう。
++++++++++++++++++++++++++